海岸通りに春が舞う
自宅から車で公園に移動する。
駐車場に停めて公園を通り抜けると、いつものランニングルートに辿り着く。
海岸通りのそこは、高い建物もなく景色が開けている。
首にぶらさげているイヤホンを装着する。
好きな曲を流し曲のリズムに合わせて走り出す。
穏やかな波から優しい風が吹き抜ける。
通り沿いに咲いているシロツメクサが揺れている。
折り返しの漁港が見えてくる。
曲間に聞こえる荒い呼吸音。
新たな曲が始まり、また一歩踏み出す。
息が苦しい。早く足を止めたい。
最後のサビが流れてくる。
あと少しだけ。あと少しだけ。
音が止まる。
空を見上げると夕日に照らされた茜雲。
優しく揺らぐ風。
そっと包まれている。
海岸通りに春が舞う。
中途半端LOVE
やあ、完璧主義の諸君。
仕事で任せられた作業や資格試験の勉強、毎日ブログ更新、運動を続けるなど取り掛かるとき完璧にやろうとしていないかい。
はい、私です。
どうもアメクラです。
人間様々な思考を持っているが、私は完璧主義な考え方に偏っている。
例えば、1から10の手順の作業があったとして、順番はどこから始めてもよいのに、1から進めないとムズムズする。(子供の頃、ゲームを始める前に説明書を読んでいた)
海外旅行に行きたいと思い、まず現地で旅行英語を話せるようになってからじゃないと行こうとしない。(パスポートの期限切れる)
新しいこと始めようとするとき、まず準備を整うまで始められない。(その準備すら全てをやろうとする。結果、膨大な量になりやらない)
試しにやってみることがとても苦手だ。
ちょっとだけやってみたらいいものを、「あれとこれができるようになってからじゃないと始められない。」と考えてしまっているのである。
これが厄介なもので、不安を大きくして一々ハードルを高くし飛べなくしているのだ。
もっと気軽で身軽に軽快にひょいひょいっとできないものだろうか。と思い、先延ばしに関する本を読んでいたのだが、これは参考になりそうというのがあった。
区切りよくやろうとせず、途中で終わるというもの。
本を一日一章読むと決めたとする。
その時は「やるぞ!」と張りきっていたが、1回やってみてめんどくさくなり、鞄から本を出さずにTVやスマホを見たりと他のことをやりだし時間が無くなって読むのが億劫になるということはあるだろう。
まず、一章読むというのがハードルを上げすぎていたのだ。
一回だけならまだしも、毎日となると読書習慣の無い人にとってはハードルが高い。
また、自宅に帰る→鞄を置くという行動で途切れているのだ。
そこで、ハードルを下げてみる。
「鞄から本を出して、1行読む」
「それ以降は自由にダラダラしてもいい」
それぐらいならできそうではないだろうか。
どうやら脳というのは、習慣になっている行動を無意識にやってしまう習性があるそう。
そこで、悪習慣になっている行動を見直しハードルの低い行動を続けていくと、徐々にハードルを上げた行動になっていくそうだ。
毎日、日記をつけるのが続かない場合は、
「机にノートを出して、1行だけ日付を書く」
食事後、洗い物を溜めてしまいがちの人は、
「食器をシンクに置いたら、1枚だけ皿を洗う」
ハードルを飛ぼうとするのではなく、跨ぐ低さにしてみたら、案外ゴールまで走れるかもしれない。
『1日1%改善』
遠回りに感じるかもしれないが、それぐらい気楽にやってみるのはいかがだろうか。
新秩序
『僕のヒーローアカデミア』という作品をご存知だろうか。
週間少年ジャンプにて連載中で、主人公がヒーローになるまでの物語を描いた作品。
作中では個性という特殊能力を持った人達がいるのだが、その中にスターアンドストライプというヒーローがいる。
彼女の個性は「新秩序/ニューオーダー」という個性で、対象に触れたあとに名を呼ぶことで、対象に新たなルールを付与できるというもの。
これがとてつもなく強力な個性で、条件さえ満たしていればいとも簡単に塵芥にできてしまうのである。
簡単に個性について書いたのだが、この話しを読んで思いついたことがある。
実際に「ニューオーダー」をやってみてはどうだろうか。
「何を馬鹿なことを言っているんだスットコドッコイ、寝ぼけてないで顔(ツラ)洗って目を覚ませ」とあなたは言うだろうが、どうか気を落ち着かせて聞いてほしい。
当然、個性を使えるわけない。
使えようもんなら、あのあんちきしょうをメッタメタのギッタギタにして...
おっと失礼。話を戻そう。
普段、ネガティブなことを考えてしまうことはないだろうか。
私はというと、将来の不安や過去の後悔、誰かと比較しては落ち込んだり嫉妬したりと脳内ではいつも葛藤し精神的にヘトヘトだ。
余計なことを考えないためにはどうすればいいのかと思案していたところ、ニューオーダーである。
ニューオーダーの発動条件は、
①対象の名を呼ぶ
②新たなルールを付与する
作中では詳細な発動条件はあるが、大元はこの2つである。
例えば脳内でこんなことが浮かんだとする。
「あのあんちきしょうをブックブクのドッロドロにして...」
憎いアイツを思い出してご機嫌斜めだ。
そこですかさず、ニューオーダー発動。
「アメクラナミトは〇〇のことを嫌いにならない」
するとどうだろう、あんなに脳内バトルをしていた妄想も消えてしまったではないか。
ここで大事なポイント。
必ず声に出すこと。
思っているだけでは効果はほとんどなく、声に出して脳内に訴えかけることが大事だ。
以外にもたったこれだけで収まってしまい、あれは何だったんだと呆気にとられるだろう。
時間が経つと再び思い出してしまうことはあるが、その都度、発動してほしい。
憎っくきあんちきしょうの名前を呼びたくないというお方もいると思う。
頭の中で想像している対象の人を認識していれば、「あの人」と言ってもいい。(〇〇はあの人のことを考えない)
ネガティブを鎮めるためだけでなく、自身を落ち着かせるために言うこともありだ。
「〇〇は落ちついている」
あるいは鼓舞するために
「〇〇は行動すると調子が上がる」
これで全ての悪夢から開放されるとはいかないが、声に出すことで少しは気持ちにも変化があるはずだ。
信じがたいと思うが、ぜひお試しでやっていただきたい。
最後に、ニューオーダー発動。
「読んでくれたあなたに幸運が訪れる」
良いことがあることを願ってます。また明日。
シン・自身
今日から4月に入り今年度がスタート。
本来なら新たな気持ちで新生活を送りたいものだが、去年から時が止まっている。
集中が長く続かず、別のことを妄想しては時間が過ぎてしまっている。
どうやらショックなことが起きると、脳みそがクラッシュするようだ。
随分と時間は経っているのに妄想から抜け出せずにいる。
このブログを始めたときはもっと新鮮な気持ちだったが、今では脳が固まっているような感覚だ。
久しぶりにブログを読み返してみた。
自分で言うのも超おこがましいのだが、自由な発想で伸び伸びと書いている。
なにより文章からおもしろがっているのが伝わってくる。
あまり自分のことを素直に褒めるのは苦手なのだが、まあまあいいじゃないかとさえ思った。
この記事を読む人はいないだろうから、ただの独り言のつもりで書く。
自分が”いま”強く望んでいることを信じてやってみたほうがいい。
わたしは、未来の不安や過去の出来事から、何も起こってもいないのに「自分にはできないんじゃないか」と不安になり、「お前はどこにいっても何もできないよ」と言葉のナイフで刺して自分を苦しめ、「これを選んで合っているのだろうか」と迷子になり、様々な言葉で自分の首を締めて息苦しくなる。
きっとこんなことで悩んでいる自分は身勝手で傲慢な考えなんだろう。
いいわけにしか聞こえない。
もっと気楽に何事もおもしろがって楽しめる世界にしたい。
自分だって誰かに貢献できようになりたい。
そんなことを考えては感情ばかり先行していく。
負の感情は本当にやっかいだ。
自分だけじゃなく、周りの人にまで疑心暗鬼になってしまう。
もし同じような人がいたら、自分を大切にしてあげてほしい。
”いま”のかっこ悪い自分を受け入れてあげてほしい。
そして、自分がやってみたいと思ったことは素直に信じてあげてほしい。
わたしも絶対にこの状態を改善する。
大丈夫、楽にいこう。
プラトー
2021年の振り返っていきたいと思う。
今年一年を一言で表すと、『プラトー』
停滞という意味で、この一年間はうまくいかない年になった。
その分、自分と向き合う年となった。
1月
状況を変えたい一心で、住む場所を変えるために一人暮らしを始める。
去年の11月から部屋を探していたのだが、無事に決まり、1月から新居での生活がスタート。
必要な生活用品を購入などや生活に慣れるのに忙しかった。
細々なものは揃えたが、机やいすなどがなく、実家にあった簡易テーブルを持ってきてその上にパソコンを置き、胡坐をかいて仕事をしていた。
部屋の中は物で散乱としていて、居心地はよくない。
また、ビジネス関連のコミュニティに入った。
新しい人と関係を作るために入ったが、それも重なってしんどかった。(自分には合わず、数ヶ月で辞めることに。)
2月
部屋は相変わらず散乱としていて、机や本棚など必要なものを探すのに時間がかかっていた。
ただ、先月に比べ落ち着いたので、気持ちとしても少し楽になる。
3月
好きなひとから、「もう会えません」と連絡がきた。
それは、相手の仕事が忙しく余裕がないことからだったが、最後まで自分のせいにしていたことが苦しかった。
そんなに苦しい時に支えられなかったことや相手に寄り添うことができたかもしれないのに、相手と向き合えていなかったことに後悔した。
愚かな自分に心底嫌気がさした。
4月
この月から宣言解除されたこともあり、約1年間続いていたテレワークが終わり出社することになった。
久しぶりの出社は本当にしんどくて、どれだけストレスが溜まっていたのかと改めて実感。毎日、職場に向かわないといけないことがきつかった。
また、受講していた講座が終了した。
文章に関する講座を受けていたのだが、勉強になったし、新しいことを知る楽しさを知った。
5月
出社して一か月が経って、少し慣れたがこの慣れたことに怖さを感じた。
慣れたときには感覚がマヒし思考停止になってしまい、また元に戻ってしまうんではないかと。
久しぶりに気になっている人に会った。
数年前から好意を抱いていた人で、何度か食事に行くことはあった。
食事やイベントがあるときに誘っても断られてばかりで、段々と相手に対する不満が強くなっていき、それでも我慢している状態がしんどかった。
自分の存在が都合の良い人でしかないように感じていた。
この時も久しぶりに会えることの嬉しさより、しんどいと感じていた。
そのあとも何度か連絡はしたものの相手が忙しいってことで会えなくなった。
去年からこの人に振り回されている感じがする。
何でもないふりを装っているけど、ずっと我慢していてモヤモヤが酷かった。
特にこの人のことで今年は悩んだ。
ずっとモヤモヤして、自分が悪いんじゃないかと責めて、相手への不満は大きくなり、苦しくなっていった。
6月
緊急事態宣言が発令されて、再びテレワークとなった
やはり、自宅での作業は自分に合っていた。
あのときに戻りたくない。いまの状況を変えたい。
そんな想いから退職の申し出をした。
初めて自分の本心に思っていることを正直に話した。
話は聞いてもらったがそこから進展せず。自分の準備不足だ。
でも、ほんの少しだけど状況を変えようと伝えることができた。
前回、受講していた講座で来られていた講師が主催する講座を申し込んで受講することができた。
エントリーの質問に答えられず、応募するのは辞めようかと思ったが、来年また応募するかと考えた時、やりたいという気持ちになっていないかもしれない。
状況を変えたいという気持ちから、ダメ元で応募してみたというのが始まりだった。
講座1回目の始まりは熱量がすごくて、緊張した。
この中に自分がいてもいいのかと思った。
ヘトヘトになった1回目となった。
7月
講座2回目はゲスト講師が来て、普段見てこなかった文化について知ることができた。
また、受講生の課題のクオリティに圧倒されっぱなし。
自分の提出した課題がしょうもなく感じた。
仕事では特に作業がなかったことや、先月の退職の申し出のこともあって、気が緩んでしまっていた。
8月
感染者数が過去最高で増加。
本来なら日本で開催されるオリンピックにもっと喜々としてもよいものだが、この状況だったので淀んだ空気が漂っていた。
スポーツを見ることは好きなので、選手のメダルを獲得している姿には歓喜していた。
今年はパラリンピックも注目して観戦。とにかく感動した。
自分も体験してみたいと思った。
講座ではチームで取り組む課題があった。
仕事でもチームで作業することがない、ましてや誰かと一つのものに取り組むことも無いので、どうすれば良いのかわからなかった。
自分の意見も言えず、一番ダメなやつでモヤモヤが残る回だった。
9月
テレワークが来月いっぱいで終了する話があった。
それを聞いて急に焦りを感じた。また、出社しないといけないのかと。
しかも、転職活動も全然しないまま9月に入り、自分のマイペースさに辟易としている。
時間的にも余裕があった時期だっただけにテレワークの間にやっておけばと
後悔した。
10月
今月でテレワークが終わり、また職場に行かないといけない。
退職の話もあれからできていないことに焦りを感じていた。
仕事が忙しくなりはじめたこともあり、どうしようもなくなっていた。
今までの体たらくな過ごし方は本当になにやっているんだと。
また、登録していた転職エージェントに担当の方が部署移動することになった。
誠実で話を聞くのが上手な方で相性がよかっただけに、担当が変わることは残念な気持ちだった。
この月から段々と上手く回らない感じだった。
11月
テレワークが解除され久しぶりに出社。
やはり、しんどい。
仕事やることはあったのもあり、ヒマがなかっただけまし。
業後はドッと疲れがきた。
もう今年も2ヶ月で終わる。
12月
受講していた講座をどうにか卒業できた。
後半から失速しまったが、義理を返すのような想いでどうにか最後の課題を提出した。
講座を通して自分の至らなさや足りないものが多く浮彫になって、自分に小ささを知った。
人との繋がりが怖く、講座を参加をしていても苦しいときがあったが、どうにか半年間続けたことは自分を褒めたい。
仕事では、同僚が一人退職した。
ものすごい急に辞めていった。夜逃げするがごとく。
なんで自分は辞めれていないんだろうな。
去年から変化しようと意識した。
住む場所を変えたり、新しい人と関わったり。
上手くいかないことがほとんどで、悩むし自分を責めるしで、苦しい一年だったなと思う。今も「何か」変わったのかわからない。
だけど、今まで変化することは怖いと感じていたが、このまま変化しないほうがよっぽど怖いと感じるようになったことは、ほんの少しだけ意識として変化したことかもしれない。
来年もきっと変化を恐れるだろう。
それでも弱さも大切にして、前に進もう。
今よりも状況が良くなると信じて。
夜を乗りこなす
こんばんは。
今年最後のブログを更新します。アメクラです。
今年も今日が最後となった。
思い返しながら2020年を振り返ろうと思う。
1月、2月初めまでは今までと変わらない日常だった。
2月中旬頃から、ニュースになり始めたあの新型コロナウイルス。
今までの日常が壊れたキッカケ。
3月に入ったあたりから国内でも感染者がでた。それからどんどん国中に広がった。
4月中旬頃、テレワークが実施された。
今までは会社に出勤して仕事するのが当たり前だったのが、テレワークに変わった。
オフィスから自宅で仕事するという変化は新鮮なものだった。
自宅で作業ができるのはとてもやりやすかった。今まで会社にいることがストレスになっていたんだなと感じたし環境の変化が自分に与えるものの大きさを実感した。
5月中旬になり、緊急事態宣言が発令した。
全国民が自粛するように呼びかけられた。普段にぎわっている場所でもほとんどの人がいない状況だった。異様な光景。
特にこのときはコロナ関連のニュースを見ていて気持ちが沈んだ。
緊急事態宣言のなか旅行に行く人、それを非難する人。
自宅から出れないから必要以上に買い溜める人、それを非難する人。
お店に行列ができるぐらい並ぶ人、それを非難する人。
思い出しても嫌なことしかない。きつかったし、疲れた。
そんな中でも少しでも気持ちが楽になるようにと、楽しませようとしてくれる人たちもいた。自分達だって辛いはずなのに、少しでも気がまぎれるようにしてくれた、少しでも嫌なことが忘れるようにしてくれた。その優しさが嬉しかった。
誰かのために動いてくれた人達がいたからこそこの時期は乗り越えられたと思う。
6月から徐々に感染者が減ってきた。緊急事態宣言も解除され会社にも出勤する人たちも増え始めた。
7月初めのころには、新規感染者も0が続いていた。出掛けている人も多かった。
久しぶりに友人と会って食事に出かけたりした。まだまだ不安しかなかったが、久しぶりに会って話したのがすごく新鮮で嬉しかった。久しぶりに会って話すのがこんなにも楽しいのかと思えた。
8月に入る頃には感染者も増え始め、第二波がやってきていた。
県独自の緊急事態宣言が発令され、また自宅にこもる生活に戻った。
9月初め頃に解除された。久しぶりに居酒屋が多い通りを歩いた。人は少ないものの以前の日常と同じように飲んでいるお客さんがいた。ずっと自宅にこもっていたから、生活範囲がほとんど家で過ごしていたのもあって、もう日常に戻ってる風景にショックだった。普通に飲んでる、普通に食事に行っている。SNSで流れてくるみんなで集まって飲んでる写真を見て自分の感覚がズレているのかと悩んだ。それが普通で家にこもって生活しているのがおかしいやつみたいな。自分だけ取り残されているような気持ちになって辛かった。
この時期から会いたい人に会えなくなってしまった。自分が余裕がないあまり、相手に嫌な気持ちにさせてしまった。なんでもっと相手の状況を想像できなかったのだろう。情けなかった。自分が嫌になった。これは我儘にしかならないけど、もし会えるなら会いたい。そしてあの時のことを謝りたい。謝りたいって言っていること自体、自分勝手なことなんだけど。いまも後悔している。
10月も引きずっていた。少しは気が紛れるかと思って友人と食事したが、余計に辛くなった。その人は行動力がある人で、今の状況を変えたいと思っていろんな人に会っては話しを聞いていると言っていた。その人と一緒にいることが辛かった。自分は行動してないやつって思ってしまうから。
初めてカウンセラーに相談した。自分のいまの現状を話した。仕事のこと、周りと比較したときに自分が惨めに感じること。自分が何にもない空っぽなやつって感じること。
ずっとこのままではないかと不安に感じてること。思っていること話してみたが結局、解決できなかった。消化不良に終わった。
この月で30歳になった。30歳にもなったらもっと大人になっているって想像していた。仕事のやり方も分かってきて、やりがいを感じて、世の中のことも少しは分かってきて、結婚して子供ができて、なんて思っていたけど実際には違った。小学生のときの自分が今の自分を見たら将来に希望を持てないかもしれない。ごめんなこんな自分で。
だけど、30歳まで生きてた。嫌なことは散々あったけど、いまも生きている。そのことを一番に感謝したい人は母親だった。
普段は照れくさくて言えないけど、ちゃんと言うべきだと思いお礼を伝えた。
自分の息子はすごいんだって誇らしく思えるような人になれていないけど、そう思ってもらえるように前に進もうと思った。
11月からは引っ越し先の部屋を探した。
家から出ることにした。今まではいまの給料では厳しいからと思って辞めていたけど、とある記事を読んだときに、すぐに変化をする方法が住む場所を変えるというのがあった。まずはそれからやってみようと部屋探しを始めた。
部屋探しをしていて自分の給料で住める部屋はこれが限界だと突き付けられた。仕方がない、受け入れるしかなかった。
このときも会えなくなった人のことを考えてボーっとして物を無くすは、運転中にUターン禁止のところでUターンして切符切られるは、駐車場で車をぶつけたりと嫌なことが続いてたので、お寺で厄払いをしてもらった。
12月は今までお世話になっていた美容室が閉店することになった。10年続いたお店だった。美容師さんからは開業当初から来ていただいているお客さんの一人と言われた。閉店後は美容師としての経験を活かし新境地に挑むとのことだった。
これからも通い続けると思っていたお店が閉店するのは寂しい気持ちだったが、新しく挑戦することはすごいと思った。このことは自分としても励みになった。
部屋が決まった。来年からは違う場所で生活する。どうなるか分からないけど、不安もあるけど、住む場所を変えることでなにか変わるかもしれない。
環境の変化から見えてくるものがあるかもしれない。
今年は変化の多い年だった。環境が変わり、関わる人が変わった。
一番身近な人と話すことが多い年だった。人の優しさに気づいた年だった。
辛いことが多かったけど、変わりたいと思えた年でもあった。
この先どうなるかわからないし、怖いけど、
来年は今よりも状況が良くなると信じて行動する。
鴉の御告げ
こんばんは。
124日ぶりにブログを更新するアメクラです。
さて、しばらくブログを書いていなかったのだが、どうして書いていなかったかというと・・・ネタが思いつかなかったからである。かつ、めんどくさがりな性格もあり、更新せず放置していた。(ごめんなさい)
このまま放置するだろうと思っていたのだが、とあるキッカケがあり、久しぶりに更新しようと思った。そのキッカケについては、また別の日に書くことにする。
いま書かないんかい!とツッコミもありそうだが、
今日は不思議な出来事があったので、どうしても先にそっちを書きたいと思い、ブログを書いている次第である。
ここ数か月は良くないことが続けて起きていた。
9月を最後に好きな相手と連絡が取れなくなった。嫌な気持ちにさせるようなことをしたかもしれないと思い、自己嫌悪に陥り、その事をずっと引きずっていた。
それからというもの、頭の中はモヤモヤして、そのことばかり考えてしまい、他の事に対して気が回らなくなっていた。
友人と会ってご飯に行ったら気晴らしになるかと思い行ってみたが、正常じゃない状態だったので余計に虚しくなった。
運転しているときも考え事をしてしまい、Uターン禁止の標識があるにも関わらず、
Uターンをしてしまい、キップを切られる始末。
また別の日には、バック駐車をしたときに柱にぶつけてしまい、車が凹むということがあった。
運転に関しては、どれも不注意によるものだが、その原因が不安からモヤモヤとしていることからだった。
こういったことが続けて起きていたことが怖く感じ、神社でお祓いに行くことにした。
本堂に入り、住職に厄除けはできますかと聞いて、大丈夫ですよと返事があり、
申し込み用紙に自分の名前と「開運厄除」とお願いを書くように言われた。
祈願料が五千円か一万円で選べたので、五千円でお支払いをした。
その後、他のお客さんも居たので、祈願を行うまでの間は待っていたのだが、支払いの時に祈願料をいくら支払うか迷いがあったのもあり、ここは思い切って一万円にしよう、厄を払いのけるためだと思って祈願料を変更することにした。
(後で知ったけど、料金によってお札が違うらしい)
お守りを買い求めて来ていたお客さんもいなくなり、私一人だけになっていた。
御祈願後にお札を持ち帰るか神社で預かるか確認され、
預かってもらうことにした。(一年間の間、住職が御祈願されるとのこと)
住職のお二人が本堂に入り御祈願が始まった。
御祈願の間は、胸の前で両手を合わせて下さいと言われていたので、その通りにやり、目をつぶった。
住職がお経を唱え、太鼓を叩いて御祈願をしていた。
初めての体験だったので、想像していた以上に迫力があり驚いた。
そして、「今よりも状況が良くなりますように」と一心に願った。
いつのまにか、涙が流れていた。
約10分ぐらい続いただろうか。
御祈願が終わり、住職からお帰りになってくださいと言われ、本堂を後にした。
初めての体験ということもあり、新鮮な感覚だった。
そして何よりも驚く出来事が起きた。
本堂を出て階段を降りていると、目の前をカラスが横切って、階段の手すりに止まったのである。そのカラスと目が合った後、暫くして飛び立った。
カラスが横切るのは、不吉なことが起きるのでは?
クロネコが横切るみたいな感じで。
厄払いした後なのにな・・・と不安に感じたので、帰ってどんな意味があるのか調べてみると、どうやらカラスは神聖な存在として信仰されているとのことだった。
吉兆をもたらす八咫烏の使いとして、神聖視されていたとか。
正しい道に導いてくれる神の使いと考えられていたとか。
そして、神社でカラスを見た時の意味が、神があなたに寄り添ってくれているというメッセージがあり、神社仏閣に救いや願いごとの成就を求めて訪れたなら、神がその思いを受け入れて後押ししてくれているという意味だそう。
「迷わずに前進して良し」というメッセージもあるらしい。
また、鳥は前にしか進めないこともあり、前進することを意味していると考えられている。ましてカラスは八咫烏に代表される神の使い。神社仏閣でカラスを見たということは、未来に向けて前向きに進んでいくことが出来るのではないでしょうかと書かれている記事もあった。
総じて良い意味だったし、「今よりも状況が良くなりますように」と願ったことが通じたようで何より嬉しかった。
背中を押されたような感じ。
色々と不安はあるし、怖いことだらけだけど、
今よりも状況が良くなると信じて行動しようと思う出来事だった。
2020年11月22日に起きた不思議な体験のお話し。
ということで、おしまい。
明日は良いことがあると信じて床に就くとする。