アメモヨウの頭の中

わーわー言うてます。

鴉の御告げ

こんばんは。

124日ぶりにブログを更新するアメクラです。

 

さて、しばらくブログを書いていなかったのだが、どうして書いていなかったかというと・・・ネタが思いつかなかったからである。かつ、めんどくさがりな性格もあり、更新せず放置していた。(ごめんなさい)

このまま放置するだろうと思っていたのだが、とあるキッカケがあり、久しぶりに更新しようと思った。そのキッカケについては、また別の日に書くことにする。

いま書かないんかい!とツッコミもありそうだが、

今日は不思議な出来事があったので、どうしても先にそっちを書きたいと思い、ブログを書いている次第である。

 

ここ数か月は良くないことが続けて起きていた。

 

9月を最後に好きな相手と連絡が取れなくなった。嫌な気持ちにさせるようなことをしたかもしれないと思い、自己嫌悪に陥り、その事をずっと引きずっていた。

それからというもの、頭の中はモヤモヤして、そのことばかり考えてしまい、他の事に対して気が回らなくなっていた。

友人と会ってご飯に行ったら気晴らしになるかと思い行ってみたが、正常じゃない状態だったので余計に虚しくなった。

運転しているときも考え事をしてしまい、Uターン禁止の標識があるにも関わらず、

Uターンをしてしまい、キップを切られる始末。

また別の日には、バック駐車をしたときに柱にぶつけてしまい、車が凹むということがあった。

運転に関しては、どれも不注意によるものだが、その原因が不安からモヤモヤとしていることからだった。

こういったことが続けて起きていたことが怖く感じ、神社でお祓いに行くことにした。

 

本堂に入り、住職に厄除けはできますかと聞いて、大丈夫ですよと返事があり、

申し込み用紙に自分の名前と「開運厄除」とお願いを書くように言われた。

祈願料が五千円か一万円で選べたので、五千円でお支払いをした。

その後、他のお客さんも居たので、祈願を行うまでの間は待っていたのだが、支払いの時に祈願料をいくら支払うか迷いがあったのもあり、ここは思い切って一万円にしよう、厄を払いのけるためだと思って祈願料を変更することにした。

(後で知ったけど、料金によってお札が違うらしい)

 

お守りを買い求めて来ていたお客さんもいなくなり、私一人だけになっていた。

御祈願後にお札を持ち帰るか神社で預かるか確認され、

預かってもらうことにした。(一年間の間、住職が御祈願されるとのこと)

住職のお二人が本堂に入り御祈願が始まった。

御祈願の間は、胸の前で両手を合わせて下さいと言われていたので、その通りにやり、目をつぶった。

住職がお経を唱え、太鼓を叩いて御祈願をしていた。

初めての体験だったので、想像していた以上に迫力があり驚いた。

 そして、「今よりも状況が良くなりますように」と一心に願った。

いつのまにか、涙が流れていた。

 

 

約10分ぐらい続いただろうか。

御祈願が終わり、住職からお帰りになってくださいと言われ、本堂を後にした。

初めての体験ということもあり、新鮮な感覚だった。

そして何よりも驚く出来事が起きた。

本堂を出て階段を降りていると、目の前をカラスが横切って、階段の手すりに止まったのである。そのカラスと目が合った後、暫くして飛び立った。

カラスが横切るのは、不吉なことが起きるのでは?

クロネコが横切るみたいな感じで。

厄払いした後なのにな・・・と不安に感じたので、帰ってどんな意味があるのか調べてみると、どうやらカラスは神聖な存在として信仰されているとのことだった。

吉兆をもたらす八咫烏の使いとして、神聖視されていたとか。

正しい道に導いてくれる神の使いと考えられていたとか。

そして、神社でカラスを見た時の意味が、神があなたに寄り添ってくれているというメッセージがあり、神社仏閣に救いや願いごとの成就を求めて訪れたなら、神がその思いを受け入れて後押ししてくれているという意味だそう。

「迷わずに前進して良し」というメッセージもあるらしい。

また、鳥は前にしか進めないこともあり、前進することを意味していると考えられている。ましてカラスは八咫烏に代表される神の使い。神社仏閣でカラスを見たということは、未来に向けて前向きに進んでいくことが出来るのではないでしょうかと書かれている記事もあった。

総じて良い意味だったし、「今よりも状況が良くなりますように」と願ったことが通じたようで何より嬉しかった。

背中を押されたような感じ。

色々と不安はあるし、怖いことだらけだけど、

今よりも状況が良くなると信じて行動しようと思う出来事だった。

 

2020年11月22日に起きた不思議な体験のお話し。

 

ということで、おしまい。 

 

明日は良いことがあると信じて床に就くとする。