アメモヨウの頭の中

わーわー言うてます。

夜を乗りこなす

こんばんは。

今年最後のブログを更新します。アメクラです。

 

今年も今日が最後となった。

思い返しながら2020年を振り返ろうと思う。

 

1月、2月初めまでは今までと変わらない日常だった。

2月中旬頃から、ニュースになり始めたあの新型コロナウイルス

今までの日常が壊れたキッカケ。

3月に入ったあたりから国内でも感染者がでた。それからどんどん国中に広がった。

4月中旬頃、テレワークが実施された。

今までは会社に出勤して仕事するのが当たり前だったのが、テレワークに変わった。

オフィスから自宅で仕事するという変化は新鮮なものだった。

自宅で作業ができるのはとてもやりやすかった。今まで会社にいることがストレスになっていたんだなと感じたし環境の変化が自分に与えるものの大きさを実感した。

5月中旬になり、緊急事態宣言が発令した。

全国民が自粛するように呼びかけられた。普段にぎわっている場所でもほとんどの人がいない状況だった。異様な光景。

特にこのときはコロナ関連のニュースを見ていて気持ちが沈んだ。

緊急事態宣言のなか旅行に行く人、それを非難する人。

自宅から出れないから必要以上に買い溜める人、それを非難する人。

お店に行列ができるぐらい並ぶ人、それを非難する人。

思い出しても嫌なことしかない。きつかったし、疲れた。

そんな中でも少しでも気持ちが楽になるようにと、楽しませようとしてくれる人たちもいた。自分達だって辛いはずなのに、少しでも気がまぎれるようにしてくれた、少しでも嫌なことが忘れるようにしてくれた。その優しさが嬉しかった。

誰かのために動いてくれた人達がいたからこそこの時期は乗り越えられたと思う。

6月から徐々に感染者が減ってきた。緊急事態宣言も解除され会社にも出勤する人たちも増え始めた。

7月初めのころには、新規感染者も0が続いていた。出掛けている人も多かった。

久しぶりに友人と会って食事に出かけたりした。まだまだ不安しかなかったが、久しぶりに会って話したのがすごく新鮮で嬉しかった。久しぶりに会って話すのがこんなにも楽しいのかと思えた。

8月に入る頃には感染者も増え始め、第二波がやってきていた。

県独自の緊急事態宣言が発令され、また自宅にこもる生活に戻った。

9月初め頃に解除された。久しぶりに居酒屋が多い通りを歩いた。人は少ないものの以前の日常と同じように飲んでいるお客さんがいた。ずっと自宅にこもっていたから、生活範囲がほとんど家で過ごしていたのもあって、もう日常に戻ってる風景にショックだった。普通に飲んでる、普通に食事に行っている。SNSで流れてくるみんなで集まって飲んでる写真を見て自分の感覚がズレているのかと悩んだ。それが普通で家にこもって生活しているのがおかしいやつみたいな。自分だけ取り残されているような気持ちになって辛かった。

この時期から会いたい人に会えなくなってしまった。自分が余裕がないあまり、相手に嫌な気持ちにさせてしまった。なんでもっと相手の状況を想像できなかったのだろう。情けなかった。自分が嫌になった。これは我儘にしかならないけど、もし会えるなら会いたい。そしてあの時のことを謝りたい。謝りたいって言っていること自体、自分勝手なことなんだけど。いまも後悔している。

10月も引きずっていた。少しは気が紛れるかと思って友人と食事したが、余計に辛くなった。その人は行動力がある人で、今の状況を変えたいと思っていろんな人に会っては話しを聞いていると言っていた。その人と一緒にいることが辛かった。自分は行動してないやつって思ってしまうから。

初めてカウンセラーに相談した。自分のいまの現状を話した。仕事のこと、周りと比較したときに自分が惨めに感じること。自分が何にもない空っぽなやつって感じること。

ずっとこのままではないかと不安に感じてること。思っていること話してみたが結局、解決できなかった。消化不良に終わった。

この月で30歳になった。30歳にもなったらもっと大人になっているって想像していた。仕事のやり方も分かってきて、やりがいを感じて、世の中のことも少しは分かってきて、結婚して子供ができて、なんて思っていたけど実際には違った。小学生のときの自分が今の自分を見たら将来に希望を持てないかもしれない。ごめんなこんな自分で。

だけど、30歳まで生きてた。嫌なことは散々あったけど、いまも生きている。そのことを一番に感謝したい人は母親だった。

普段は照れくさくて言えないけど、ちゃんと言うべきだと思いお礼を伝えた。

自分の息子はすごいんだって誇らしく思えるような人になれていないけど、そう思ってもらえるように前に進もうと思った。

11月からは引っ越し先の部屋を探した。

家から出ることにした。今まではいまの給料では厳しいからと思って辞めていたけど、とある記事を読んだときに、すぐに変化をする方法が住む場所を変えるというのがあった。まずはそれからやってみようと部屋探しを始めた。

部屋探しをしていて自分の給料で住める部屋はこれが限界だと突き付けられた。仕方がない、受け入れるしかなかった。

このときも会えなくなった人のことを考えてボーっとして物を無くすは、運転中にUターン禁止のところでUターンして切符切られるは、駐車場で車をぶつけたりと嫌なことが続いてたので、お寺で厄払いをしてもらった。

12月は今までお世話になっていた美容室が閉店することになった。10年続いたお店だった。美容師さんからは開業当初から来ていただいているお客さんの一人と言われた。閉店後は美容師としての経験を活かし新境地に挑むとのことだった。

これからも通い続けると思っていたお店が閉店するのは寂しい気持ちだったが、新しく挑戦することはすごいと思った。このことは自分としても励みになった。

部屋が決まった。来年からは違う場所で生活する。どうなるか分からないけど、不安もあるけど、住む場所を変えることでなにか変わるかもしれない。

環境の変化から見えてくるものがあるかもしれない。

 

 

今年は変化の多い年だった。環境が変わり、関わる人が変わった。

一番身近な人と話すことが多い年だった。人の優しさに気づいた年だった。

辛いことが多かったけど、変わりたいと思えた年でもあった。

この先どうなるかわからないし、怖いけど、

来年は今よりも状況が良くなると信じて行動する。